ボクたちFC東京ファンにとっては、シーズン中のみならず、オフも選手のことが気になって仕方ありませんよね。
さらに、FC東京の社長なら、マネージメントという観点で、いつも監督や選手のことが気になるハズですし、気にしてもらわないといけません。
そんななか、ひょんなことから、FC東京元長の阿久根謙司氏の講演会に参加してきました。
講演会終了後の懇親会では、ボクが直接権田選手の秘話などを聴き出しましたよ!
阿久根元FC東京社長ってどんな人なの?
阿久根氏のプロフィールは?
阿久根謙司氏は早稲田実業高校時代に甲子園に2度出場するなど、いわゆる高校球児でした。
その後は早稲田大学に進学し、六大学のベストナインに2度選ばれるなど、野球で活躍されました。
卒業後は東京ガスに入社し、社会人野球でも活躍され、後に東京ガス硬式野球部のコーチや監督を歴任されています。
FC東京との関係は?
東京ガスの職員ですからFC東京と何の関りがなかったとは言えないと思いますが、ご本人は「野球人」ですので、FC東京はモチロン、サッカーのことすらあまりご存じなかったようです。
それが、突然、FC東京がJ2に降格した2010年12月に「FC東京の社長を命ずる」との辞令が下り、天命と思って受け止めたのだそうです。
そして2011年2月に正式に社長に就任し、わずか1年でJ1に昇格を果たします。
それから2015年1月末に退任されるまで、FC東京で、そのマネジメントの手腕を発揮されました。
現在は、東京ガス埼玉支社の支社長をやられています。
阿久根元FC東京社長のJ2降格時の秘話とは?
そんな阿久根氏ですが、サッカーを知らずにご苦労されたこともあったようです。
ただ、マネージメントについては、独自に勉強されていた「コーチング」をもとに、降格直後から選手たちと様々なコミュニケーションをとられました。
まず最初に、どうしてFC東京は降格したのか、その理由やチーム状況を選手たちにたずねたそうです。
選手たちの主な答えは以下のとおりでした。
- ユルい・ヌルい=甘え
- 誰かがやってくれると思った=他力本願
- こんなはずじゃない=自己否定
ううっ、なかなかスルドイ自己分析…。
さらに阿久根氏は、野球と比べ、サッカーは試合が始まったら止まらない「先が読めないスポーツ」であることを感じていました。
そこから導き出された阿久根氏のテーマは「自立」。
野球のマネージメントを通じて学んだコーチングを武器に、FC東京の行動指針を「自立」に定め、自分で見て、自分で考えて、自分で動くことを徹底させたのです。
そして阿久根氏は、J2の開幕戦に選手たちに内緒で家族を呼び、ピッチに出る前のウェイティングエリアに家族を待たせます。
当然、試合に臨もうと入ってきた選手たちはビックリします。
阿久根氏は「試合は選手だけが戦うんじゃない!みんなで戦うんだ!」と言って選手たちを送り出したそうです。
その後のFC東京のJ2でのめざましい活躍は言うまでもありませんよね。
阿久根元FC東京社長との熱いトーク!
そんな阿久根元社長の熱い講演会のあと、懇親会が催されました。
ボクはまたとないチャンスと思い、阿久根氏に質問をぶつけました。
以下、ボク、Masatoと阿久根氏のガチンコ?トークです。
(分かりやすくお伝えするために言い回しは多少修正しています。)
監督交代劇について
Masato>
きょうは阿久根さんにぜひともお伺いしたいことがあってこの講演会に参加しました。
お聞きしてよろしいですか。
阿久根氏>
どうぞ。
Masato>
阿久根さんが就任された2010年から、監督は大熊さん、ポポ、マッシモ、そして城福さんと変わりましたよね。
東京はしいて言うなら攻撃型のチーム。
それがマッシモを招へいして守りのチームへと変貌し、そして再度パスサッカーの城福さんへ。さらに城福さんはまたもや途中降板となり、迷走しているように見えます。
「東京らしさ」って一体何なんですか。
ファンは戸惑っています。
阿久根氏>
ポポとマッシモにはそれぞれ攻撃と守りをバランス良く考えるように就任前に強く言ってありましたが、結果的にポポは攻撃、マッシモは守備になってしまいました。
バランスのあるマネージメントは難しいと思います。
Masato>
でも、マッシモはFC東京最高位の4位という成績を残し、翌年のACL出場権も獲得した監督です。
なぜ交代させたのですか?
阿久根氏>
自分はマッシモの交代のときにはすでに関わっていませんでした。
しかし私のようにコーチング主体の考え方からすると、「監督主体」ではなく「選手主体」にチームをつくれる監督こそすばらしいということになります。
Masato>
では、城福さんの再登板はどう考えたら良いのですか。
阿久根氏>
『俺からパスサッカーを取ったら何も残らない』と言って東京を去った城福さんが、甲府では『しっかり守ってすべてのボールをダヴィに当てる』サッカーでJ2優勝したことは、まさしく、今いる選手で戦うチームづくりと言えますので、2016年の城福監督再招へいは私にとっては『あり』だと思っていました。
Masato>
しかし、残念ながら、また途中降板となりましたね。
阿久根氏>
ですので、もっとチームづくりの中に入り込んで、何が課題でどうすればその課題が解決できたのかをやりきるまで途中解任はさせたくなかったと感じています。
そもそも途中解任するということは、組織論を勉強してきた私自身、あまり好きではありません。
権田選手について
Masato>
権田選手についてお聞きします。
権田選手はオーバートレーニング症候群、いわゆるメンタルだとの報道がなされ、その原因はマッシモとの確執であるとの話がありましたが本当でしょうか。
阿久根氏>
おそらく本当でしょう。
Masato>
それではなぜ、権田選手はあえて再びマッシモのもとに飛び込んだのでしょうか。
阿久根氏>
鳥栖への入団を決める前、ゴンちゃんと話をしました。
『おまえダイジョブなのか?』と聞くと、彼は『ダイジョブです!』と強く答えたので、それならと思い、承知しました。
彼もいろいろ経験し、大人になって帰ってきたということでしょう。
Masato>
ファンは東京への復帰を望んでいました。
阿久根氏>
ご存じだと思いますが、彼は非常にストイックなのです。
東京へ戻るのが一番楽な道だと分かっていたので、あえて自らその道を断ったのではないかと思います。
Masato>
しかし、FC東京も権田選手が戻ることを想定していたと思いますが。
阿久根氏>
塩田が退団するときも、塩田に『このまま東京に残ればやがてコーチの道もあるぞ』と助言しました。
でも彼は首を縦に振りませんでした。
サッカーとはそういうものではないでしょうか。
監督もそうですよね。
それがサッカーなのではないでしょうか。
Masato>
確かにそのとおりですね。それからナオ…
と、ここまでボクが阿久根氏をひとり占めしていたため、事務局の方に引き離されてしまいました(笑)。
ホントはナオのことが一番聞きたかったのですが…。
阿久根氏と直接話したのはおそらく10分にも満たない時間だったと思うのですが、とても充実した時間でした。
実はこのあと阿久根氏にお礼のメールを差し上げたところ、お返事をいただき、そこには
「最終戦は見に行けませんが、終わったらナオと食事でもしようかと思っています。」
と書いてありました。
阿久根さん、決して邪魔しませんから、隣のテーブルに座ってもいいですか?(笑)。
なお、2017シーズン最終戦終了後、今シーズンのふがいなさにいてもたってもいられず、また阿久根さんにメールをしてしまいました。
その時の内容は、
でご紹介しています。
さらに、2018シーズン終了後にもまた、メールしてしまいました。
あわせてご覧ください。
まとめ
講演会も懇親会も、とにかく阿久根氏のパワーと人柄に圧倒されていまいました。
阿久根氏は、今でもFC東京の選手や、他チームに移っていった選手と話すことが多いと言います。
選手たちも阿久根氏の人柄に引き寄せられてしまうのではないでしょうか。
さらに「東京愛」が増した出来事でした!